礼拝説教



  • 毎週日曜の午前10時より礼拝堂において一般礼拝が始まります。準備聖歌、お知らせ、ビデオ上映、準備瞑想などの後、執礼者が入場します。説教は常にパワーポイントを使った説教となります。信仰観、摂理観など40分から50分の説教が毎週行なわれています。

    天一国は神主義の国

    天一国家庭の生活指針
    再創造の主人

    地上において皆さんがこれを完結できない場合は、あの世に行っても、その完結できなかった限界圏内で、越えなければならない峠を中心として永遠に修練過程を開拓しなければなりません。そのような道が残っているということを知らなければなりません。地上世界でこのような時代を迎えたということを天下の何よりも貴く思い、世界よりも、自分の国よりも、自分が生きている環境圏よりも、自分の生命や愛よりも、もっと貴い道(人生)に変えようと私たちはしているのです。このような現在の私たちの生活がどれほど大切なものかということを知らなければなりません。分かりますか。

    勝手に、自分勝手に、酒を飲み、タバコを吸い、ありとあらゆる行動をすることは出来ません。一騎当千。言ってみて下さい。一騎当千!そのような道理を立てて神様を解放し、神様が完成することが出来なかった創造を完成させなければならない責任は、神様にあるのではありません。神様にあるのでれば、アダムとエバを堕落させなかったのです。アダムにあるということは、胸の詰まる事実です。今まで人類歴史の中で、そのようなことを考えた人は一人もいません。

    《説教骨子》

    2012年が天暦(旧暦)でも幕を開けました。この一年は、実に大きな変化の一年となり、基元節である2013年1月13日までの390日間を私たちは心して過していくべきであると感じます。さて、2012年元旦を迎えるに当たって、皆様もそうでしょうが、私も大きな期待を持ってその日を迎えました。その日「神様の結婚式」が行なわれると伝えられていたからです。世の人々が呆れて笑い飛ばすようなこの事実も、私たち統一原理を学び、人類歴史の何たるかを理解する者は、一様に「神様の結婚式」の重大さを理解します。この瞬間を私はどのように迎えるのかと、少し緊張しながら2012年の真の神の日を迎えました。ところが、ふたを開けてみれば「神様の結婚式」は2013年1月13日まで延期ということになりました。1月2日(1月24日)の天福式の際、真の御父母様はそのことをハッキリとおっしゃられました。

    1日の10時からの式典の際も“聖婚式”というタイトルは掲げられていませんでしたから「おやっ・・・」と思っていました。また、そのような噂(延期という・・)もありましたが、私たちが真のお父様から直接に2013年1月13日に「神様の結婚式を延期する」と聞いたのは天福式の際でした。では、あれほど真の御父母様が強調され、誰よりもその日を待ち焦がれ、誰よりも精誠を込められ準備されてこられた「神様の結婚式」を自ら延長しなければならなかった理由はどこにあるのでしょうか。私たちは延期という結果以上に、その背後にある御父母様の心情を考えなければならないと思います。聞けば、来賓の数が足りなかったなど外的要件が浮き彫りにされがちですが、果たして、そのような外的要件だけで天宙史的な神様の結婚式が延期されるなどと、私たち統一食口の誰もが思いません。

    延期にはなりましたが、今回、とても嬉しいニュースがありました。それは久しぶりに恩進様が式典に参加されていたことです。恩進様といえば、3男の顕進様とソウルオリンピックの韓国代表として乗馬に参加された方です。ゆえあって、御父母様とは距離をおいていたようですが、今回、真の御父母様の古希のお祝いに駆けつけられたことはどれほど素晴らしいことでしょうか。神様も御父母様も本当に嬉しかったに違いありません。それは私たちが何万人、何十万人が祝賀するよりも、たった一人真の御子女様であられる恩進様が帰られ祝賀する方が重いことは言うまでもありません。真の御子女様の価値、その血統は何ものにも代えることはできません。

    聖書に「放蕩息子」のお話があります。父から財産の半分をもらって家を飛び出した長男は、やがて遊びほうけて放蕩に身を滅ぼして行くことになります。気付けばお金も、友人も消え、頼る何ものもなくなり父の元に帰ってくることになります。好き勝手なことをして、身を滅ぼした長男をお父さんは、心から「よく帰ってきた。よく帰ってきた。」と涙を流して迎え入れます。子供は親を忘れても、親は決して子供を忘れることが出来ません。そのお父さんは、長男が出て行ったその日から、「今日帰ってくるのではないか。今帰ってくるのではないか。」と小高い丘に登っては、来る日も来る日も長男を待ち続け、一瞬たりとも長男を忘れることはありませんでした、お父さんは時間が止まっていたのです。それほど息子を愛していたのです。だから帰って来た息子を怨むこともなく、憎むこともなく、心から抱きかかえ迎える事が出来たのです。それが子を思う親の心情です。

    私たちは「神様の結婚式」を心から期待しました。いよいよ神様の全知全能性が顕現する時代を迎えると期待し、いよいよ真の御父母様と統一教会が理解してもらえる時代を迎える。そして、いよいよ天一国が顕現して行く時代を迎えると・・・。しかし、私たちは真の御父母様の本当の苦しみ、悲しみをどれほど理解し、天宙史的な重大行事を迎えるにあたって一つの楔が打ち込まれる(一線が引かれてしまう)恐ろしさを理解できたでしょうか。統一教会の根本は家庭です。真の御家庭がどんな状況でしょうか。私たち祝福家庭の状況がどんなものでしょうか。延期と聞いてはじめて、別角度から考えさせられる一瞬がありました。恩進様は帰ってきました。厳しいように見えますが顕進様の道もあるのではないでしょうか。その道を準備しなければならないのは御父母様ではありません。弟子たちです。

    そして、一人でも多くの離れた食口たちが、一人でも多くの人類が等しく恩恵を受けられるようにしなければなりません。また、私たち祝福家庭が御父母様の願う天一国の基準に至らなければなりません。その基準に達していなかった2012年1月1日だったのだと思います。御父母様はどこまでも人類の親であり、神主義、真の愛主義に生きる方です。一線が引かれてしまえば私たちの多くは落伍者になっていたことでしょう。99匹の羊も生かし、はぐれた一匹の羊をも諦めないのが真の御父母様なのです。例え反旗を翻すものに対しても天一国に導かなければならなのが真の御父母様なのです。                   

    私は神を愛する者、神の側に立つ者

    原理講論 緒論
    (一) 蕩減復帰原理 
    (2)メシヤのための基台  ①信仰基台

    アダムは「信仰基台」をつくるための条件として下さった神のみ言を信じなかったために、それを失ってしまった。このように、堕落した人間は、「信仰基台」を復帰するための神のみ言葉を、直接受けられない位置にまで落ちてしまったので、そのみ言の代わりとなる条件が必要になったのである。そして堕落人間は、万物よりも劣る立場におかれるようになったので、旧約以前の立場においては、供え物、あるいは、その供え物を代表する箱舟などの万物を条件として立て、「信仰基台」をつくるようになったのである。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
     
    人間が堕落した後におけるこのような条件物は、人間の側から見れば、それは「信仰基台」を復帰するためのものであるが、神の側から見るときは、それはどこまでも所有を決定するためのものであったのである。

    (説教骨子)

    この時間、韓国では重要な大会が行なわれています。「真の父母様・世界支持大会」です。真の御父母様の古希の祝いを韓国中で祝い、またそれを世界中で祝うものとするべく、さらに“神様のもとの一家族世界実現”を目指す大会として行なわれています。1月23日まで休まれることなく精誠を捧げられる真の御父母様であられます。そんな1月23日がどのような意味ある一日なのか、神様の結婚式と言われていますが、それがどのようなことなのかを言われるままに受け止めるのではなく、その重要性を私たち一人ひとりが自分自身で再認識してこそ、感謝のあふれる心情で責任を果たそうと努力できるのだと思います。

    重要な1月23日が一週間後となりました。この一日は、過去の歴史の中でどのような一日なのでしょうか。スタッフや基台長たちに聞いてみました。誰もが一様に「歴史の中で最も重要な一日」と言います。それは正しい認識だと思います。神様の最も喜びの一日が1月23日です。その日、神様の結婚式が執り行われるのですから・・・。 神様は結婚式の瞬間を夢見ながら、思い描きながら森羅万象を創造されたのではないですか。最後にアダムとエバを創造されて21年経てば、アダムは神様を迎える立場となり、完成されたエバと結婚式を挙げたかったのではないですか。そして、その瞬間から、神様が理想とされた世界が展開されるはずではなかったですか。神様にとって結婚式がどれほど重要だったのかを私たち統一食口は知っていますね。世間一般に通用する話ではありませんが・・・。神様の総ての理想は、アダムとエバの理想的結婚から始まるはずだったのです。

    しかし、それが踏みにじられ神様も人類も苦難と試練、実に不幸な歴史を綴らなければなりませんでした。結婚式です。この結婚式を迎えなければ神様の本当の喜びを回復することが出来ません。それを1月23日に迎えるという事実はどれほど大きな事件と言えるでしょう。私たちはそこに同参する立場です。そんな私たちが今の自分で良いのかをも考える必要があると思います。神様の全知全能性が完全に発揮される基点ともなる1月23日、その後、韓半島を中心として信じがたい展開となるのかもしれません。どんな役事が起るか分かりません。それは私たち祝福家庭にとっても同じことです。大きな祝福を受けるべき時を迎えているにも拘らず、自分が祝福を受けるべきだと自分で証明するべきなのだと思います。

    神様にとって、私たちにとって重要な喜びの一日を迎えようとしているのに、今、私たちはどのような内外の準備をしているのでしょう。これまでに幾度も通過してきた単なる1月23日として迎えようとしてはいませんか。これは大きな後悔となるであろうし、祝福の恩恵に漏れてしまうのではないかと心配します。願われる外的内容を果たせるか否かを心配する以上に、心から祝い、喜びを爆発させ、そして、いつの間にか導かれて勝利している私になるべきです。入籍のこと、刻銘のこと、それらも大切ではありますが、今、私たちが集中すべきことは、神様の結婚式を心から純粋に祝賀し、私が神様を愛する者、神の側に立つものであることを自ら証明することです。そして、大きな祝福を受け、2013年1月13日向かうべきだと思います。

    この一日に対しての真の御父母様のみ言葉を再確認し、この期間行なわれる行事の事もよく理解し、また、今日は世界会長から発表された天福所願成就書と特別聖塩伝授に関する内容をお伝えする時間とします。1月23日がどれほど神様にとって喜びの一日であるかを感じながら、これから話す内容を受け止めてください。・・・・・

    天一国の顕現、千載一遇の大チャンス!

    天聖経
    真の神様                
    第四章 真のお父様の見た神様
    5)神様を解放して差しあげ様

    誰が悪霊と善霊の戦いを終わらせることができるのでしょうか。それは神様でもなく、サタンでもありません。それでは誰でしょうか。真の愛から出発してもっていく、世界万民がついていける愛の主人公が現われなければ、神様の闘いと、サタンの戦いを終わらせることができないのです。この戦いから解放されない限り、人間歴史世界において平和という言葉は妄想的なものです。

    「理想」という言葉は、抽象的で感傷的な言葉にすぎません。それで、神様は真の愛代表者を遣わすのですが、その主流思想をメシヤ思想、救世主思想というのです。救世主は人間だけではなく、神様までも解放する人のことをいいます。悪を処断することを意味します。神様を解放し、悪を総決算する総責任者が救世主です。

    《礼拝骨子》

    教会長として10年以上も母国の摂理に相対してまいりましたが、最近は摂理のたびごとに「私は本当に御父母様を愛しているだろうか・・・?」ということを考えさせられます。昨年の金婚式、遺言といわれる天福函相続、そして今回の聖婚祝賀。使命感や責任感だけでは越えることは出来ません。真の御父母様を愛する心情が無くしては勝利する事は勿論、前向きに考えることも出来ないように思います。しかし、私たちは間違いなく御父母様を愛しています。信じています。信頼できない世の中で私たちは誰よりも真の御父母様を信じています。そして、御父母様が私たちを裏切るこのとのない真の父母様であることを確信しています。私たちは信仰生活のところどころで、信仰生活の中心である真の御父母様との心情因縁、息子娘としての絆の回復を確認する必要があるように思います。

    さて、先週はあまりにも驚きのニュースが世界を駆け巡りました。金正日総書記の死去のニュースです。今朝も北朝鮮の今後の指導体制を巡って様々な意見が交わされる番組がありました。私たち統一教会人としては、誰もが金正日総書記の死去が偶然ではなく、摂理上深い意味があるのではないだろうかと考えたと思います。私も、神様の御聖婚を前にしたこの時期での突然の死去、しかも9日~16日までの期間は、世界会長ご夫妻が北を訪問して、帰国直後の17日に死去された経緯からしても摂理的に大きな意味があると感じざるをえません。

    私たちは、「天一国創建」と口にはしますが、果たしてどれほど具体的に天一国のことを考えているでしょう。一向に兆しも見えずに、天一国といわれても希望を見いだすことが出来ず、いつしかマンネリ化し、天一国の未来よりも日本での未来、老後を考え希望も夢もない生活になってはいませんでしょうか。しかし今日、この説教を聞いた後には、天一国が具体的になされる可能性があることや、その天一国がどのような過程を経て創建され、また、天一国がどれほど希望的な内容を備えているかということを感じ取れるかもしれません。

    金正日の死去は、北朝鮮ばかりではなく周辺諸国にも大きな影響を与えています。しかし、一番大きな衝撃を受けているのは、他でもなく後継者である金正恩に他なりません。僅か28歳の彼にとって2300万人の人民を幸福へと導くことは、決して容易なことではないでしょう。大きな混乱の中にあると言えるでしょう。そのように考えるとき、私は数週間前に読んだ韓国の軍事評論家のブログの信憑性を感じました。その方の名前はジ・マンウォン (池萬元)博士という方です。今日は、この方のブログを見ながら重大で且つ希望的な話をしていきたいと思います。(ジ・マンウォン博士ブログ参照)

    これから半年間が注目です。否、もしかするとここ数日がポイントになるかもしれません。新指導者である金正恩を中心とする北朝鮮指導部が自国をどの指導理念で導こうとするかが問題です。万が一、彼らが中国に向かうならば東北アジアと世界平和は大きく閉ざされ、北朝鮮自体が苦しみの中から逃れることはないでしょう。しかし、ブログにあるように奇跡的に彼らが真の御父母様を迎え、金日成主席と文鮮明先生の関係を尊重し、統一教会を受け入れる道を選ぶならば、北朝鮮は数年で大変革を成し遂げ、世界平和の指導的な役割を果たすモデル的平和国家と化すことでしょう。そのシナリオが、すでに韓国国内でもこのように議論される段階にあることがどれほど凄いことでしょう。
    あくまでも教会長の私見ですが、これからの北朝鮮が天一国化し、世界の平和をリードする国家となる得る青写真をこれから皆様にお話したいと思います。・・・・

    地上生活の目的

    平和を愛する世界人として
    第七章 韓国の未来、世界の未来      
    第八章 人類史の新たなページを開く朝鮮半島

    私たちは、朝が昼に変わる時間を知ることが出来ません。また、夕方がいつ夜に越えて行くかも知ることが出来ません。どの瞬間に過ぎていってしまうのか、天のなさることを人は分かりません。私たちの人生もそうです。成功と失敗の瞬間は、すべて私たちの知らないうちに過ぎて行ってしまいます。国も同じです。一つの国の吉凶がいつ訪れてくるのか知ることが出来ません。このように人間は、天運がどのように動くのかを知ることができないのです。天運とは、世界を動かす力であり、宇宙が回って行く原理です。私たちは知ることができなくても、世の中を創造された方が摂理する天運というものが明らかにあります。・・・・・・・・

    未来を見る目が泣ければ、天運が自分の目の前に来ていても、見ることが出来ません。それで、天運を見ることのできる慧眼が必要なのです。

    (説教骨子)

    12月を迎えました。この一年を振り返りながら、特に考えさせられたことをお話します。今年は5月の後半に札幌地裁での「青春を返せ裁判」の証人として出廷しましたが、その前後に自己責任の信仰というものを強く考えさせられました。同じように統一運動に献身し、同じような責任分担を歩みましたが、数十年経てば、片や統一教会の牧会者、片や「青春を返せ!」と統一教会を訴え批判する立場。私は牧会者としての自分の立場を心からありがたいと思っています。しかし、何故、あのようになってしまうのか。そこには、自分で選んだ道という自覚の足りなさと、自己責任を取れない未熟さがあったと思います。

    集った皆様は、自分の責任で統一教会の信仰をされていますね。誰に押されるまでもなく今日も自分の意志で礼拝に参加されましたね。自分の意志と責任で伝道し、自分の意志と責任で献金し、今日まで自分の意志と責任で祝福家庭として立派に責任を果たしていることを自覚しましょう。従って、今後も様々に願われる内容に関しては、自己責任で受け止め、自己責任で行動し、決して責任転嫁や自己正当化することのない様にしましょう。祝福や入籍などはそのように自己の責任で受けるものであり、もはや我々は成熟した考えを持つ立場ではないでしょうか。ご理解できますね。

    今回13日間の断食を行ないましたが、その間に考えさせられたのは「心情の基台」でありました。原理講論・後編、ノア家庭、アブラハム家庭の冒頭には、アベルやノアが「天に対して忠誠を尽くした心情の基台ゆえに・・・」という部分が見られます。心情の基台ゆえに摂理が延長され、神の復帰摂理が継続されたことが記されています。別に彼らは、心情の基台を残すために生きたわけではありません。とにかく必死になって神様の願いを果たそうとしたのだと思います。今、私たちに必要なのは、とにかく神様が願われたことに対して必死であることだと思います。

    できるか、できないかを結果を主管するべきではありません。例えば、TDを「やらない!」と決心するのも自己責任、「やる!」と決心するのも自己責任。「やらない!」と決心するなら自己責任で祝福などは受けるべきではないと感じます。そんな決心をした者が恥ずかしすぎて、どうして天の祝福を受けることができるでしょうか。「やる!」と決心しても簡単ではないのに・・・。私たち祝福家庭は、結果を気にすることなく天の願いに真剣に、本気で、切実に、必死で、夢中になって取り組むべきだと思います。曖昧が一番良くないのです。

    さて、今日は「地上生活の目的」というテーマですが、今更お話しする内容でもないと思います。先週、地区長が行軍してこられましたが、その際「私たちの信仰の目的は霊人体の成長と完成」というお話されました。み言葉を受けながら、摂理とはテストのようなものであり、その都度、その都度、一生懸命に勉強するようなものだと思いました。勉強しても良い点数を取れない事もあります。しかし、真面目にテストの備え勉強を繰り返し、知らず知らずのうちに実力がつくように、我々の霊人体も摂理に真剣に、真面目に取り組むことによっていつの間にか磨かれ、天一国に相応しい生霊体になって行くのだと感じました。今日は、自分自身の霊人体の成長と完成について、もう一度考える時間にしたいと思います。・・・

    真の母の相対国家としての責任と使命

    天聖経
    真の父母 第6章「真の父母」と我々      
    4)恩寵と自覚 ④「真の父母」の価値

    神様の摂理の目的とは何かというと、一つの焦点(真の家庭)です。神様の理想が実現される場も、まさにその場です。我々が失ってしまった父母、失ってしまった真の父母様に出会うことが出来る所も、まさにそこです。それで、その基台がすべての中心です。その中心的立場、それが真の父母というものです。 歴史上に多くの立場がありましたが、この立場が最も価値ある立場です。

    皆さんは、この本当の価値を知ることが出来ませんでした。これは数千個の国土を与えられても替えられません。国土ほどのダイヤモンドを与えられても替えることができません。アメリカ全体を神様に祭物として捧げたとしても、皆さんはそれを得ることが出来ません。皆さんの目で直接その立場を見る事ができるなら、どれほど幸福でしょうか。また、見る事ができなければどれほど不幸なことになるでしょうか。もう一度、じっくりと考えて見なければなりません。

    《説教骨子》

    原理講論・総序の冒頭に「人間は、何人といえども、不幸を退けて幸福を追い求めて、それを得ようともがいている。・・・」とあります。これは全くの真理です。今日も皆様は、幸福になりたいとして、ここに来て座っているのですけど、冒頭から幸福を追い求めてボーっとしたり、寝たりもしているのですね。そのようにして、本当に幸福をつかめるのならここに座っている必要もありませんね。「個人の些細な出来事から、歴史を左右する重大な出来事に至るまで、すべては結局、等しく幸福を得ようとする生の表現にほかならない」とあります。しかし、私たちは、それほど真剣に幸せを追い求め、深刻になって一瞬、一瞬を生きてはいませんね。だからボーっとしたりするのですね。これは習慣性ですね。今こそ、我々は何が幸福を得る道なのかを真剣に、深刻に考えるべきなのだと思います。

    さて、8月24日から始まった圓母平愛摂理ですが、今も終えることができずに引きずったままです。この間、私たちは真剣に深刻に圓母平愛摂理に向き合ってきたかを考えて見ましょう。ボーっとしたり、寝ていたりしてはいなかったでしょうか。習慣性にまかせて「いつものことよね!」と重要な摂理であるのにもかかわらず客観的になっていなかったでしょうか。摂理に対して真摯に向き合い、責任を果たそうと精誠を捧げることが祝福家庭の道理であり、未来永劫に幸福を得る道だと思えなかったのなら、私たちは、今のまま2013年1月13日を迎えることが出来ません。悔い改めなければなりません。

    圓母平愛とは、真のお母様と母国日本が一体となって、真の愛で世界平和を導くことを意味します。日本が重要な立場であることは改めてお話しすることではありませんが、真のお母様と一体となるということは、お母様の心情でお父様をお支えすることであり、お母様の心情の重荷を共有することでもあります。2008年以降、どれほど真の御父母様が窮地に立たされ、これまでにない苦痛を味わっているかを私たちは知っていますね。特に2009年からのUCI問題、御子女様のアベル・カイン問題は、あまりにも深刻です。2013年1月13日とD-dayがはっきり定められているのに、よりによって目前での大きな穴が開いてしまったのです。

    渡米後40年、UCIは摂理上大きな役割を果たしてきましたが、この失ったUCIに代わる財団をこの時期に立ち上げなければならない状況はあまりにも深刻すぎるのです。このような時であるからこそ、母国としての責任と使命の大きさを感じて、御父母様の願いに応えるべきなのだと思います。まず、外的にできる、できないが問題ではなく、私たちが真剣なのか、本気で真の御父母様の願いに応えようとしてきたのかを見つめるべきなのだと思います。少し前までは、私もUCI問題を話すたびに基準が下がりました。日本の食口たちがどんな思いで、苦労しながらTDを捧げて頑張ってきたのかを思うと、腹立たしくてしょうがありませんでした。しかし、批判と批難は、いつの間にか自らの堕落性を目覚めさせ責任転嫁し、自己正当化する材料にしかならないことを感じました。

    今は、「ああでもない。こうでもない。」と言っても私にとっては幸福を得るものにはなりません。ただひたすら信じた真の御父母様の事情と心情に相対し、願いに応えようと心を燃やすこと、取り組むことが重要だと思います。今ほど深刻な局面はありませんでした。だからこそ我々は真剣に圓母平愛摂理に向き合うべきです。ここに真剣になれないものが、どうして入籍祝福だといってのこのこと恩恵を受けに来れるのでしょう。我々はそんな恥ずかしい者ではありませんね。祝福家庭として、統一食口として、真の父母様に連結された者として最善を尽くしてまいりましょう。一週間、摂理を担当する母国の食口として、苦しみもがき、悩む抜く一週間としてまいりましょう。それが近い将来に幸福を得るための良き方法だと思います。神様と世界のためですが「苦しみましょう。悩みましょう。」などと、いったいどこの教会でこんな礼拝説教がありましょう。皆様は理解できますね。統一教会ならではですね・・・。