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  • True Voiceでは、皆様に真実なる声をお届けします。最初の連載として「真実へ・・・Turn to True」と「苦難の道・・・The Long & Winding Road」を紹介しています。皆様の愛読ブログとしてくだされば幸いです。
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    歴史を通じて正しく生きようとする者たちの前に、神は無力に思えた。平和と幸福、平等と安らぎを願っても、それらは一部の横暴で不正に満ちた者たちに踏みにじられ、都合の良い者たちにしか与えられないように見えた。正直者が馬鹿を見て、不誠実な者が得をしているような歴史が続いているかに見えた。「神に祈ったところで何が変わるのだろうか・・・。」そんな疑問を持ったとしても不思議ではない。神の存在を熱く語る宗教は、熱く語れば語るほど、かえって正直に生きる者たちと神の間に摩擦を生じさせた。皮肉にも、正しく神の心情と事情を紹介できない宗教の無力さが、人間と神の間に大きな距離を生じさせたのだ。そして、人間中心主義(ヘレニズム運動)を生み出す原因となっていく。神を否定する思想(唯物思想)は、平和と幸福に関して頼りにも当てにもできない神と、神を利用し、私腹を肥やす者たちからの脱却でもあったように思う。共産思想は、神抜きの平等思想であり、神を無視した共存共栄主義を求めた。しかし、それは極めて高い利他主義思想を持つ者たちが成しえる理想世界への挑戦でもあった。

    良心(利他主義)と邪心(利己主義)を併せ持った人間どうしが平和を維持するのは至難の業といえよう。まさに一人ひとりが心に神(絶対善・絶対愛)を具えて生きないかぎり成立はしないように思う。兄弟間の平等は、真の愛と絶対的善に満ちた親がいてこそ永続されるのであり、クラスにおいての平等も真の愛と絶対的善に満ちた先生がいてこそ成立するのだと思う。そして何よりも、お互い同士が隣人のための幸福を第一に願うという超高等的価値観を共有し、実践できなければならない。実に高度な倫理観、道徳観が要求されるのだ。この高度な倫理道徳観は、高度な宗教的センスが発露であると思う。つまり宗教性を無視をして共産主義の成立は有り得ない。人類が共産主義を叫んで出発するには、少し早すぎたのかもしれない。

    兄弟の親だといわれた者がいつしか独裁者となり、信頼厚いクラスの先生がいつの間にかひいき目を持ち、横暴と不正を働く者となり、お互いが自己中心的に自分の事だけを考えるようになれば、共産主義理想は崩壊してしまう。共産主義の最大の敵は倫理道徳の退廃であり、宗教弾圧は人々から神性としての倫理道徳観をも奪う共存性の矛盾を秘めるようになった。一方で人類は、誰もが平和と幸福を目指し、自由・民主・資本主義という兄弟間の競争システムを造り上げた。まるで終わりなきマッチレースのような世界。片や社会・共産主義という競争原理のない、あまりにも高度な共存共栄主義である理想的世界を目指すシステム。マッチレース(自由・民主・資本主義)は勝者と敗者を生み出し、貧富を拡大させた。片や良心(利他主義)が成熟しないままでの社会・共産主義は、人間から努力と活力を奪い、いつしか不自然な独裁者を生み出す土壌を拡大させていくになる。

    | 2011-04-21 | 頭翼思想

    1991年12月25日、ソビエト連邦は崩壊した。共産主義の本丸は音を立てて崩れさった。「平和理想の核心だ!」と信じた共産主義思想、その思想を掲げて出発したソ連は、1917年のロシア革命後の混沌期を越えて1922年の建国以来70年目にして、人々を平和に導く思想ではないことを証明して幕を閉じた。「宗教はアヘンである」とまで言い放ち神を否定した思想家カール・マルクス。20世紀において最も影響力があった思想家とされる彼の共産主義思想・唯物史観を祖とするソビエト連邦は、平和への道のりを中座して1991年12月25日に崩壊した。奇しくも、その日はマルクスが否定したキリスト教の祖、イエス・キリストの聖誕とされる日であった。

    ソ連は残念ながら理想国家の創建に失敗したのだ。失敗の原因は過程にあったのではなかったように思う。その出発に原因があったと感じる。建国の思想に問題があったのだと思う。共産主義という神を否定する主義。霊界、永世という無形実体を否定する主義は、有形実体のみの物質万能主義とならざるを得なかった。人間さえもただ物質という思想に傾向し、いつしか生命の尊厳性は希薄化されたようだ。そして「働かざる者食うべからず」という労働価値説的社会体制は、ただ為政者にとって革命に都合の良い合法的殺人と恐怖政治の温床となったのかもしれない。

    ソ連崩壊の数十年前から「共産主義は70年を越えることはできない」と文鮮明師は明言していた。国際共産主義が世界を席巻していた70年代においてである。原点が間違っているものは必ず崩壊するのである。出発の方向を間違えば、当然ゴールにたどり着くことは出来ない。ソ連は敗北した。共産主義は敗北したのだ。それは共産主義思想が人々を平和と幸福に導くものではないことを事実として露呈した。しかし、共産主義者たちにとって1991年12月25日は新しい革命への始まりにすぎなった。ソ連は崩壊しても世界に散らばる共産主義者たちは、往生際悪く動いているのである。否、正確には“動かされている”のである。彼らは自分たちを動かしている正体が何者なのかを知らないでいるだけなのだ。その正体とは・・・

    To be continued・・・ 

    | 2011-04-13 | 頭翼思想

    世界を2分した思想の一つが消え去ろうとしていた。共産主義は終焉の時を迎えていた。しかし、そこに至るには、もう一つ山を越えなければならなかった。その事実を知るのは神と文鮮明師しかいなかった。ゆえに、師はモスクワへと向かった。世界平和の礎の為に。1990年4月8日のことであった。

    心あるソ連指導者たちの中に70年にも及ぶ共産主義という実験が人々に何をもたらしたのかを冷静に判断する者たちがいた。その実験(共産主義)は誤りであったと結論付けたとしても、資本主義では国の未来を拓くことは出来ないということも事実であった。70年以上にわたり信じ続けた共産主義が過ちであったと気づいたとしても方向転換を簡単に出来るであろうか。ゴルバチョフ大統領とそのブレーンが選択したのは、事もあろうか40年も前から勝共思想を掲げ、共産主義の過ちを指摘し、ことごとく世界の共産化を妨害し、共産主義の過ちを訴え続けた文鮮明師を受け入れることであった。それは、彼らが文鮮明師を研究し尽くした結果であった。

    共産主義の限界線が見えた時、それに対抗し続けた人物とその思想に着目した謙虚さこそがゴルバチョフ大統領の偉大さであろう。「今後、ソ連をいかなるイデオロギーで主導していくべきなのか」。ゴルバチョフ大統領は悩んでいた。よくよく研究してみれば、憎くき文鮮明の勝共思想が共産主義を滅ぼす為の思想ではあったとしても、共産主義の不幸から国民を救い出す思想であることを彼は正しく理解できたのであった。ゴルバチョフ大統領は、国民の為に真剣であったが故に、ペレストロイカを成功させなければならない故に、文鮮明師を受け入れざるを得なかったのである。

    しかし、ゴルバチョフ大統領の改革が簡単でないことをゴルバチョフ大統領以上に知っていたのが文鮮明師であった。改革は、既得権益を守ろうとする特権階級にとっては厄介なことでしかなかった。やがて彼らは、改革阻止の為にクーデターを起すことになる。1991年8月18日のクーデターである。このクーデターは、失敗する可能性は有り得ない完璧なものであった。ところが5日後には不思議にも鎮圧されてしまう。もし、この時のクーデターでゴルバチョフ大統領が暗殺されるような事態が起っていれば、ソ連国内の情勢は混乱し、連邦間で内乱が起こり、ひいては米ソを中心とする第3次世界大戦に至る可能性があったことを誰が知っていたであろう。

    1990年4月8日、電撃的な文鮮明師のモスクワ訪問は、今後ゴルバチョフ大統領が行う改革に際し、国内で起こるであろう様々な困難を回避するために先駆けて手を打っておかなければならなかった故の訪問であった。そのことを知るのは神と文鮮明師だけだ。ソ連が共産主義を放棄することは、世界平和への大きな一歩であった。この序幕を間違えることはできない。70年にわたる共産主義幕引きの大役は、ゴルバチョフ大統領しかいなかった。文鮮明師は、ゴルバチョフ大統領を守らなければならなかったのだ。1990年4月11日、クレムリンの単独会見によりゴルバチョフ大統領の生命は、神が保障するものとなった。そして改革の成功は決定的なものとなった。1991年12月25日、何事もなかったかのように静かに共産主義は終焉の時を迎えた。

    | 2010-08-13 | 頭翼思想

    1990年4月8日、文鮮明師は、共産主義の牙城モスクワの地に立っていた。奇跡が起こったのだ。しかし、それは奇跡ではなく当然訪れるべくして訪れたのだ。第十一回世界言論人会議、第三回世界平和のためのサミット評議会、第九回ラテン・アメリカ統一連合国際会議、これら(総称:モスクワ大会)を文鮮明師はモスクワで開催するに至ったのである。かつて三大暗殺対象者(レーガン大統領・ローマ法王・文鮮明師)として、その命を狙っていた本丸中の本丸クレムリンへと乗り込むことになるのだった。

    ソ連共産党が文鮮明師を国賓級で招待したことは、既に共産主義の終焉を意味していた。世界各地で展開した赤化(共産化)運動、その集大成ともいえる中南米での戦いと自由主義の中心、合衆国の共産化は海の藻屑と消えた。その共産赤化計画を全て阻んだ張本人、文鮮明師をソ連共産党は国賓級で迎えたのだ。

    1990年4月10日、世界75カ国から集った頂上級の指導者500名とソ連の最高幹部500名を前に文鮮明師は歴史的なスピーチをモスクワ・ソビンセンターで行うこととなる。遡ること1985年8月、ジュネーブで開かれたPWPA(世界平和教授アカデミー)総会でシカゴ大学の名誉教授・モートン・カプラン博士が半信半疑の中で文師の意思を代弁した「5年以内に共産主義は終焉する!」という講演文がいよいよ現実のものになろうとしていた。

    1990年4月11日、その時は遂に訪れた。文鮮明師は、令夫人と共に準備されたリムジンでクレムリンへと向う。世界の要人たちと共にゴルバチョフ大統領を迎え、あっという間に1時間半の会談は終了した。しかし、第二幕が始まるのであった。文鮮明師御夫妻だけとの単独会談であった。この会談以降、文鮮明師とゴルバチョフ大統領は急激に心情的関係を深めることとなる。それは従兄弟のような関係とも評されるものであった。

    かつて冷戦の極地にあった時、ソ連共産党にとって文鮮明師の存在は邪魔者以外の何者でもなく、抹殺すべき存在でしかなかった。その文鮮明師がソ連帝国の牙城、その中枢クレムリン大統領執務室にいること事態が奇跡としか言いようがない。どんなに硬く、ぶ厚い氷土であったとしても、陽ざしが注がれればいつかは溶け出すように、文鮮明師は共産主義に太陽のごとくの光、真の愛を充て続けて来たのだ。ゴルバチョフ大統領との会談にまさにそれを実感する。やがて、1991年12月25日、度重なる試練を越えてソ連・ゴルバチョフ大統領は、ソビエト社会主義連邦共和国に終止符を打つのである。頭翼思想の勝利であった。

    | 2010-07-19 | 頭翼思想

    旧約聖書・創世記第9章には、大洪水の後に方舟から出てきたノアの家族に関して記されている。さほど重要視されない旧約聖書であり、物語のようにしか受け止められない話の連続だが、人類歴史の秘密を紐解く上で欠かすことの出来ない真実がそこには記されている。

    聖書には「方舟から出たノアの子らはセム、ハム、ヤペテであった。この三人はノアの子らで、全地の民は彼らから出て、広がったのである」と記されている。セムは黄色人種、ハムは黒人系、ヤペテは白人系の先祖とされている。アダムの時も子供たちは三人であった。カイン、アベル、セツの三人だ。そして、ポイントとなる人物は次男アベルであった。次男でありながらアベルは神の祝福を受ける。「神はアベルとその供え物は省みられた。」と記されている。しかし、「カインとその供え物は省みられなかった」とある。それは、神が次子アベルに相続権を与えたことを意味していた。長男として相続の権利を有するカインは憤慨した。憤慨したばかりではなく殺意が湧き上がり、ついには弟アベルを殺してしまう。

    既に説明してきたように、思っても見なかったアダムとエバの堕落ゆえに歴史は善(神側)と悪(悪魔側)の闘争歴史に展開する。その闘争は家族では兄弟の関係に現われ、神は弟側を、サタン悪魔は兄側を用いてそれぞれの版図を広げようとする。民族レベルに拡大すれば、それは神側の民族とサタン側の民族の分裂闘争へと拡大する。世界的規模に至れば神側(アベル)の国家群とサタン側(カイン)の国家群として激しい戦いが起こるようになる。このようにして人類は最終的段階を迎え20世紀には2度の大戦を経験する。その戦いの背後には、人知を越えた神とサタンが介在していることを知らなければならない。さらに、アベル・カインから始まった闘争歴史は、思想的には有神論(アベル)と無神論(カイン)、民主主義(アベル)と共産主義(カイン)へと拡大し、闘争歴史を経ながら今日にまで至るのである。

    結局、アダム家庭で果たせなかった兄弟間の統一は、ノアの家庭へと延長されたにすぎなかった。従って、ノアの家庭では次子ハムがアベルの立場であり、長子セムがカインの立場でアダム家庭のアベル・カインの残した問題を代理的に解決しなければならないのであった。人類歴史は、常にこのような原点であるアベル・カインが越えなければならなかった課題を踏襲するが故に繰り返す歴史とならざるを得ないのである。

    ノア家庭においては、再びアダム家庭と同じように失敗を繰り返してしまう。詳細は創世記9章20節以降を読めば解かることだ。何ゆえ失敗を繰り返さなければならなかったかを理解していただくためには、統一原理を学んでいただかなければならない。結果的には400年後のアブラハムの時まで時は流れてしまうことになるのだ。人類歴史上には、その本人には自覚できなかったとしてもアベル型人物(神側の人物)として生まれる命があり、逆にカイン型人物(サタン側人物)として生まれる命があるのだ。そして、神とサタンは、その地上に生まれた二つの型の人物たちを用い操りながら、神は善の版図を拡大し、この地上に平和と幸福をもたらそうとし、悪魔(サタン)は分裂と闘争、不幸を蔓延させようとしてきた。

    遠く遥か、人類が誕生して間もない時に起こった過ち、その過ちを回復できないまま人類歴史は今も流れている。原因不明の病魔に侵され、病院で入院し続けてきたかのような人類。そのような病的人類に対して病気の原因を特定し、治療し、手術し、リハビリして完全な健康体として退院させる為に、遠く遥か昔、人類始祖の過ちの時から神は、名医を地上に送ろうと努力してこられたのだ。2000年前、その名医は地上に誕生した。しかし、何も知らない精神病患者たちは、悪魔に惑わされ彼を十字架へと葬ってしまう。その使命を担った名医は再び来なければならない。真実の人類歴史とは、すなわち、どのようにすれば名医(救世主)を迎えることが出来るのかという話なのだ。

    To be continued.

    | 2010-06-22 | 真実へ