旧約聖書・創世記第9章には、大洪水の後に方舟から出てきたノアの家族に関して記されている。さほど重要視されない旧約聖書であり、物語のようにしか受け止められない話の連続だが、人類歴史の秘密を紐解く上で欠かすことの出来ない真実がそこには記されている。
聖書には「方舟から出たノアの子らはセム、ハム、ヤペテであった。この三人はノアの子らで、全地の民は彼らから出て、広がったのである」と記されている。セムは黄色人種、ハムは黒人系、ヤペテは白人系の先祖とされている。アダムの時も子供たちは三人であった。カイン、アベル、セツの三人だ。そして、ポイントとなる人物は次男アベルであった。次男でありながらアベルは神の祝福を受ける。「神はアベルとその供え物は省みられた。」と記されている。しかし、「カインとその供え物は省みられなかった」とある。それは、神が次子アベルに相続権を与えたことを意味していた。長男として相続の権利を有するカインは憤慨した。憤慨したばかりではなく殺意が湧き上がり、ついには弟アベルを殺してしまう。
既に説明してきたように、思っても見なかったアダムとエバの堕落ゆえに歴史は善(神側)と悪(悪魔側)の闘争歴史に展開する。その闘争は家族では兄弟の関係に現われ、神は弟側を、サタン悪魔は兄側を用いてそれぞれの版図を広げようとする。民族レベルに拡大すれば、それは神側の民族とサタン側の民族の分裂闘争へと拡大する。世界的規模に至れば神側(アベル)の国家群とサタン側(カイン)の国家群として激しい戦いが起こるようになる。このようにして人類は最終的段階を迎え20世紀には2度の大戦を経験する。その戦いの背後には、人知を越えた神とサタンが介在していることを知らなければならない。さらに、アベル・カインから始まった闘争歴史は、思想的には有神論(アベル)と無神論(カイン)、民主主義(アベル)と共産主義(カイン)へと拡大し、闘争歴史を経ながら今日にまで至るのである。
結局、アダム家庭で果たせなかった兄弟間の統一は、ノアの家庭へと延長されたにすぎなかった。従って、ノアの家庭では次子ハムがアベルの立場であり、長子セムがカインの立場でアダム家庭のアベル・カインの残した問題を代理的に解決しなければならないのであった。人類歴史は、常にこのような原点であるアベル・カインが越えなければならなかった課題を踏襲するが故に繰り返す歴史とならざるを得ないのである。
ノア家庭においては、再びアダム家庭と同じように失敗を繰り返してしまう。詳細は創世記9章20節以降を読めば解かることだ。何ゆえ失敗を繰り返さなければならなかったかを理解していただくためには、統一原理を学んでいただかなければならない。結果的には400年後のアブラハムの時まで時は流れてしまうことになるのだ。人類歴史上には、その本人には自覚できなかったとしてもアベル型人物(神側の人物)として生まれる命があり、逆にカイン型人物(サタン側人物)として生まれる命があるのだ。そして、神とサタンは、その地上に生まれた二つの型の人物たちを用い操りながら、神は善の版図を拡大し、この地上に平和と幸福をもたらそうとし、悪魔(サタン)は分裂と闘争、不幸を蔓延させようとしてきた。
遠く遥か、人類が誕生して間もない時に起こった過ち、その過ちを回復できないまま人類歴史は今も流れている。原因不明の病魔に侵され、病院で入院し続けてきたかのような人類。そのような病的人類に対して病気の原因を特定し、治療し、手術し、リハビリして完全な健康体として退院させる為に、遠く遥か昔、人類始祖の過ちの時から神は、名医を地上に送ろうと努力してこられたのだ。2000年前、その名医は地上に誕生した。しかし、何も知らない精神病患者たちは、悪魔に惑わされ彼を十字架へと葬ってしまう。その使命を担った名医は再び来なければならない。真実の人類歴史とは、すなわち、どのようにすれば名医(救世主)を迎えることが出来るのかという話なのだ。
To be continued.

