真実へ・・・
Turn to True
  • 真実へ
  • 苦難の道
  • 頭翼思想



  • 有史以来、平和と幸福を願いながらも、それに反して分裂と闘争を繰り返してきた人類歴史。何が人間をして悪へと駆り立てるのか・・・? 誰も解き明かすことのできなかった人類歴史の真実。True Voice“真実へ・・・”は人類歴史の知られざる真実を皆様に紹介し、未来の平和と幸福を共に考えるシリーズである。
     ご意見、ご感想は、記事のタイトルをクリックすると入力できます。お気軽にお寄せください。

    旧約聖書・創世記第9章には、大洪水の後に方舟から出てきたノアの家族に関して記されている。さほど重要視されない旧約聖書であり、物語のようにしか受け止められない話の連続だが、人類歴史の秘密を紐解く上で欠かすことの出来ない真実がそこには記されている。

    聖書には「方舟から出たノアの子らはセム、ハム、ヤペテであった。この三人はノアの子らで、全地の民は彼らから出て、広がったのである」と記されている。セムは黄色人種、ハムは黒人系、ヤペテは白人系の先祖とされている。アダムの時も子供たちは三人であった。カイン、アベル、セツの三人だ。そして、ポイントとなる人物は次男アベルであった。次男でありながらアベルは神の祝福を受ける。「神はアベルとその供え物は省みられた。」と記されている。しかし、「カインとその供え物は省みられなかった」とある。それは、神が次子アベルに相続権を与えたことを意味していた。長男として相続の権利を有するカインは憤慨した。憤慨したばかりではなく殺意が湧き上がり、ついには弟アベルを殺してしまう。

    既に説明してきたように、思っても見なかったアダムとエバの堕落ゆえに歴史は善(神側)と悪(悪魔側)の闘争歴史に展開する。その闘争は家族では兄弟の関係に現われ、神は弟側を、サタン悪魔は兄側を用いてそれぞれの版図を広げようとする。民族レベルに拡大すれば、それは神側の民族とサタン側の民族の分裂闘争へと拡大する。世界的規模に至れば神側(アベル)の国家群とサタン側(カイン)の国家群として激しい戦いが起こるようになる。このようにして人類は最終的段階を迎え20世紀には2度の大戦を経験する。その戦いの背後には、人知を越えた神とサタンが介在していることを知らなければならない。さらに、アベル・カインから始まった闘争歴史は、思想的には有神論(アベル)と無神論(カイン)、民主主義(アベル)と共産主義(カイン)へと拡大し、闘争歴史を経ながら今日にまで至るのである。

    結局、アダム家庭で果たせなかった兄弟間の統一は、ノアの家庭へと延長されたにすぎなかった。従って、ノアの家庭では次子ハムがアベルの立場であり、長子セムがカインの立場でアダム家庭のアベル・カインの残した問題を代理的に解決しなければならないのであった。人類歴史は、常にこのような原点であるアベル・カインが越えなければならなかった課題を踏襲するが故に繰り返す歴史とならざるを得ないのである。

    ノア家庭においては、再びアダム家庭と同じように失敗を繰り返してしまう。詳細は創世記9章20節以降を読めば解かることだ。何ゆえ失敗を繰り返さなければならなかったかを理解していただくためには、統一原理を学んでいただかなければならない。結果的には400年後のアブラハムの時まで時は流れてしまうことになるのだ。人類歴史上には、その本人には自覚できなかったとしてもアベル型人物(神側の人物)として生まれる命があり、逆にカイン型人物(サタン側人物)として生まれる命があるのだ。そして、神とサタンは、その地上に生まれた二つの型の人物たちを用い操りながら、神は善の版図を拡大し、この地上に平和と幸福をもたらそうとし、悪魔(サタン)は分裂と闘争、不幸を蔓延させようとしてきた。

    遠く遥か、人類が誕生して間もない時に起こった過ち、その過ちを回復できないまま人類歴史は今も流れている。原因不明の病魔に侵され、病院で入院し続けてきたかのような人類。そのような病的人類に対して病気の原因を特定し、治療し、手術し、リハビリして完全な健康体として退院させる為に、遠く遥か昔、人類始祖の過ちの時から神は、名医を地上に送ろうと努力してこられたのだ。2000年前、その名医は地上に誕生した。しかし、何も知らない精神病患者たちは、悪魔に惑わされ彼を十字架へと葬ってしまう。その使命を担った名医は再び来なければならない。真実の人類歴史とは、すなわち、どのようにすれば名医(救世主)を迎えることが出来るのかという話なのだ。

    To be continued.

    | 2010-06-22 | 真実へ

    堕落することによりアダムは善と悪の母体となってしまった。ここから歴史は善悪の闘争歴史となる。闘争歴史が延々と続くことが良き事でないことは明らかだ。アダムの息子カインとアベル。アダムの善を象徴したアベルと、アダムの悪を象徴したカイン。問題はカインが善なる者であることが証明されなければならなかった。カインは重要な立場にあった。しかし、彼はアベルを殺害することにより、悪の立場をより深める形になってしまった。

    アベルの死後、神はアベルの代身としてセツという子供をアダムとエバから誕生させる。そのセツの子孫にノアが生まれる。アダムから数えること10代目、年数にして1600年後のことだった。「ノアは、その時代の人々の中で正しく、かつ全く人であった」と創世記にある。「ノアは神と共に歩んだ」ともある。ノアは信仰者の中の信仰者だということなのだろう。

    時に信仰するものは、信仰しないものから見れば滑稽であり、異常に見えることがある。常識外れも甚だしいことがある。宗教が嫌われ理由もここにあるといえよう。正に、ノアは当時の人々から見れば異常としか言いようが無い。ある日のこと神は、ノアに突然と願いを託す。「ノアよ、方舟を造りなさい」と・・・・。ノアはその日以来、ただ一心不乱に神の言われたように方舟を造り始める。長さ約150m、高さ15m、幅25mの船である。彼はそれを黙々と造るのである。

    やがて妻も三人の子供たちも、周りの人々も「ノアは気が狂った」と言い始めたことは容易に予想が出来る。それでもノアは黙々と方舟を造りながら、「今に神が大雨を降らせ、大洪水が押し寄せる。皆も箱舟造りを手伝ってくれ・・・時間がないんだ!」と真剣に、深刻に人々の前に訴えていったに違いない。周りには狂気の沙汰としか写らなかったであろう。信仰者と非信仰者とのギャップは、いつの時代も埋まることはない。

    方舟が完成した頃、ポツポツと雨は降り始めた。まさか40日40夜降り続き、チグリス・ユーフラテス川両流域に大洪水をもたらすものとなることを誰が予測できたであろうか。いつものように降り止む雨・・・と思いながら人々に何ら憂う心はなかっただろう。ノアの必死の説得も空しく、結局、人で方舟に乗ったのはノアの家族以外にはなかった。やがて大洪水は総ての人々を飲み込んでいく。神は新しい人類の出発をノアに託すのである。「生めよ、殖えよ、地に満ちよ、全てを治めよ」とアダムに与えた祝福を再びノアに与えるのであった。

    ではその後、ノアの家族に対して神が願われた人類救済のための重大なる計画(摂理)、平和と幸福の礎ともなる願いとは何であったのか・・・。それは次回の「真実へ・・・」で触れてみることにしよう。

    | 2010-05-18 | 真実へ

    総論として、人類歴史は神とサタン(悪魔)との狭間で呻吟し続けた歴史であった。それは、私という人間一個人で見るならば、良心と邪心の葛藤の歴史と言えよう。良心には常に神が働きかけて来るし、邪心には悪魔が働きかける。神は良心的善人を捜し求め、彼をして平和と幸福の基台を拡大しようと試みる。いつしかそれは宗教となる。逆に悪魔は邪心的自己中心者を探し立てては、人が神へと繋がる道を遮り、神の計画を破壊しようとする。

    御参考までに・・・統一原理の優位性は、邪心の発生原因を明らかにしている事であり、サタン(悪魔)の正体をも明確にしていることにあると思う。病気の原因を特定できなければ治療方法も見出すことは不可能なのだ。

    人類歴史の躓き(闘争、分裂、不信、不和、エゴ・・・などの発生原因)は、人類最初の男であるアダムと人類最初の女であるエバの過ちに端を発する。故にこの過ちを取り戻すことが重要であることをこれまでに何度も語ってきた。もう既にこの世にいない過去の先人たちの過ちは、時代の最先端を生きる者たちが負わなければならない責任として残る。故に時代と共に人物は代わっても、取り戻すべき責任は変わらないのである。あたかも祖父の負債をその子供が負い、さらには孫が・・・という考え方そのものだ。天には神も従わざるを得ない法律があるのだ。

    アダムの過ちを回復するために、アダムの次子アベルと長子カインは善悪に分立されなければならなかった。そして、長子カインは悪の立場のままではなく善に変わるべきであった。アダムからは善悪ではなく、善と善しか生まれなかったと証明する立場にあったのが長子カインの責任でもあった。その悪の立場から善の立場へと如何にして変わるのかを統一原理は鋭く説く。

    結局、アベル、カインの摂理(神の計画)が失敗することにより、神は次の良心的善人(摂理的中心人物)を捜し求めて長い時間を費やすことになる。ようやく見つけた人物が偉人ノアであった・・・・・。このように時代とともに人物は変わろうとも、使命分野は継承される。故に歴史は繰り返されるように進むのである。

    To be continued.

    | 2010-05-06 | 真実へ

    親の失敗を復帰すべきは子供である。神はアダムとエバの過ち、その回復を彼らの子女であるカイン(兄)とアベル(弟)に託す。ほんの僅かだが、聖書にはカインとアベルの内容が記されている。しかし、その重要さを誰一人として解き明かすことはできなかった。実に重要な部分であるにもかかわらず・・・。

    蛇に称された天使長ルーシェルに誘惑されたエバが最初の性的関係を持ったこと(堕落)は既に紹介した。やがて未成熟なエバはアダムとも関係を持つ。霊的存在のルーシェルとの間には実体の子女を儲けることは出来ないが、最初の性的関係の立場から長子カインは、アダムの子でありながらも天使長ルーシェルとの因縁として誕生した子女と見るのである。「神はカインとその供え物をかえりみられなかった」と聖書に記されているのは、カインがサタンと称されるルーシェルに属したものであったが故である。次子アベルは、二人目との性的関係、つまり許婚のアダムとの関係(因縁)で誕生した神の側の子女と見るのである。「神はアベルとその供え物とをかえりみられた」と聖書に記されているのはこれらの理由によるのである。

    人類歴史は、「神とサタンの闘争歴史である!」とこれまで何度も言ってきた。それは、神に召命された人物と、サタンにとり憑かれた人物の衝突に他ならなかった。その衝突はアダムの子供たち、カインとアベルの時から既に始まるのである。勿論、カインが自分自身の背後にサタンがとり憑いているなどとは知る由もなく、アベルが自らの背後に神が協助していることなどとは知る由もない。二人は兄弟でありながらも、アダムとエバ、そしてルーシェルの重大な過ちを回復すべく、神(善)側、サタン(悪)側に立てられる。原理原則の神にはその方法しかなかったのだ。

    それでは、次子アベル(神側)と長子カイン(サタン側)との間でどのようにすれば、過ちの傷口を大きくせずに、いち早く神が願った人類の平和と幸福、理想世界を取り戻すことができたのであろうか・・・? その秘密は次回で明らかにすることとしよう。人類始祖アダムの家庭を詳しく知ることこそが未来に平和と幸福を回復する鍵となるのだ。

    To be continued.

    | 2010-04-20 | 真実へ

    肉眼では決して見ることのできない神とサタンの業は人間を通して現れる。神が願う平和も幸福も人間を中心として具現化される。一方、サタンは自己中心的な思いを人間を通して展開しようとする。すなわち人間の良心、邪心をめぐり神とサタンの熾烈な闘争歴史が繰り返されてきたのだ。

    では、具体的に神はどのようにしてこの地上に平和と幸福を拡大させようとするのだろうか。どこまでもアダムとエバをして平和と幸福を実現しなければならない。それが原点であり、原理原則なのだ。ただし、人間の地上での生命には限りがある。故にここで言うアダムとエバとは、あくまでも使命分野における立場であり、人物自体は時代ごとに変わらざるを得ないのだ。しかし、人物は変わっても成さなければならないアダムとエバの使命は継承されるのだ。

    このような使命の継承者を中心人物と言い、使命の完成者を救世主という。では、神がアダムとエバに託した責任と使命とは何であったのだろうか・・・? 
    それが人類最初の結婚を通して理想的な夫婦、理想的な家庭の完成であった。理想的な夫婦とは、神の真の愛を中心とする絆で結ばれた夫婦であり、理想的な家庭とは、神が同居する家庭なのだ。この夫婦と家庭がモデルとなり、地球上には次々と平和理想家庭が広がり、平和理想世界が確立されなければならなかった。これこそが地上天国であった。

    しかし、その神の願いと夢は前回まで話してきたように、もろくも崩れ去った。故に神様はアダムとエバに代わる中心人物を探し立て、アダムとエバが成すべきだった御自身が同居できる理想家庭を追い求めてきたのだ。灰色に染められた人類の過去と未来は、たった一つの理想家庭から真っ白な過去と未来に変わるのだ。

    聖書に記された人物たち、アベル、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ・・・彼らは正にアダムに代わる中心人物たちであり、大きな責任と使命を果たさなければならなかった。勿論、イエス様も・・・。

    平和と幸福の理想世界はどのようにして成し遂げられるのか・・・? 綴られてきた真実の歴史、神と中心人物たちの苦悩の歴史を聖書を紐解きながらいよいよ明かしていく時が来たようだ。次回からは“平和と幸福・理想世界への真実の歴史”と題してお話していくことにしよう。

     
      To be continued.

    | 2010-03-29 | 真実へ